薫風村便り その五
こんにちは。 村長です。
ブログ始めたけど、アナログ人間にはなかなか更新できへん。
まぁ、ぼちぼちですな。
生きる=食べる
をテーマにしているけど、その発端になった出来事を少々。
その女性は、それこそ万丈波乱の人生を送られました。
結果的に95歳で亡くなったけど、今も鮮明に私の中で生きてはります。
女性社長として2度の挫折を味わうも、3度目の起業で成功された不屈の闘志の方でした。 が、50代で癌を発症し、胃を摘出。
その後、副作用のため、聴覚を失い、目の光を失いました。
まさに現代のヘレンケラーやった。
それでもそれを受け入れ、持ち前の明るさで障害を感じさせることなく、笑顔の花を咲かせるユーモアに溢れる可愛いおばあちゃん。
でも、健常者にはないもの。 霊感を持たれた方でもありました。
ここで詳しくは触れないけど、失うべくして失ったものと得るべくして得たものって絶対あると思う。
あと、天への貯金もね。
ご自身の会社を引退し、完全介護の施設に入所されて20年くらいたった頃。
それはほんまに突然来たんやね。
その頃は、会話はできへんかったけど、手のひらにひらがな(大正生まれやったから時にはカタカナ)を書いての筆談でした。
また、目は見えへんでも普通に生活ができ、施設と大阪の自宅を一か月ごとに往復。
その時の送り迎えは私の仕事。
その日もクルマで大阪へ向かっていました。
ふいに「あらぁ、ついてきてるわぁ。」と助手席で声を出されました。「こんな大勢来てどうすんの。」
もちろん車中は私と二人だけ。ただ、霊感の強い方なので、その時はあまり気にならず帰阪。自宅に送り届け、私も近くの自宅に戻り休もうとした時に1本の電話。
大声でわめいているので来て欲しい との管理人さんからの連絡で、再び訪問し、その夜はその方の自宅に泊まることに。
そして夜中に大きな声で目を覚ました私の目に入ってきたのは、正座して鬼の形相で見えない誰かを怒鳴りつけているその方の姿でした・・・
自宅にはいろんな人が多すぎるので嫌だということで、翌日は私の自宅で宿泊。
ここでも同様のことが起きました。
次の日は私の仕事の都合がつかず、お一人で本人の自宅で過ごされましたが、夜中に施設から連絡があり、救急車で戻ってきているとのこと。
結局、同じことが起こってしまったんやね。
それが最後の帰阪であり、 「認知症」 の始まりでした。
当然軽い物忘れなど、年齢に即した症状はあったけどね。
ただ、困ったのは極端に食事量が減ったこと。
他人には見えない誰かとの会話や叱責が目を覚ましている間続き、疲れると睡眠。
食べることを忘れたかのようになり、施設と相談しながら流動食と水分でなんとか必要な摂取カロリーのそれでも半分がやっとでした。
当然痩せます。 痩せればどうなるか?
↓
入れ歯が合わなくなります。
↓
固形物が食べられなくなります。
↓
脳に栄養が行かないので認知症が進み、
さらに痩せていきます。
そして半年後、主治医から余命1か月と告げられました。
ここで大きな障害は、「本人の同意なく入院治療ができない」という入所契約でした。ご本人が頑なに治療を拒んだのです。
というよりも、本人に現状を正確に伝える術がなかったんです。
老衰(死)とはこういうことなんや。
死 = 食べない(食べられない)
結果的に何とか入院して、点滴をしたことで命を繋げられました。
実の父を前年に亡くしたけど、近くにいなかったことで死に目に会うこともできず、死に至る過程を見ることはなかった。
実に考えさせられた出来事を、経験させてもらいました。
日本人の寿命は延びてるし、元気な大先輩も多い。
共通点は「よく食べる!」
生きること! = 食べること!
いづれは誰もが身内の死は経験するけれど、急に落ちる食欲には要注意!
80歳以上になれば、成人病は必ず多かれ少なかれもっているので、何でもいいから食べることが肝要!
でも80歳まで元気でおるためには、若い時から食事には気を付けたいもんやね。
ここで健食メニューをひとつ。
【芽ひじきと生姜の煎り酒煮】
牛乳の12倍といわれるひじきのカルシウムと、生姜パワーでからだスッキリ!
皮付生姜の食感が楽しい一品ですねん。
「煎り酒」は醤油が創られる前に使われていた、日本古来の調味料とのこと。
純米酒、梅干し、昆布と塩。それに私は粗削りのかつを節で作っています。
醤油よりもまろやかで、ひじきとよく合いますねん。 ほな、さいなら。